時間の考え方を変えると心も変わる

こころとからだのトリセツ

先週のことです。うっかりと時間のワナにハマってしまいました。

8月25日、8月最後の日曜日のことです。
思わず知らず、こんなことをつぶやいていました。

子供のころから夏が苦手。だから、早く9月になってほしくて「8月が長い!」と感じる。
そういう心理が働いていたようです。

* * *

物理的な時間の長さは一定であっても、感覚的な時間の長さは、感情や状況の影響を受けます。

物理的な時間と社会的な暦(つまり何年何月何日何時)は、他者と関わる時には必要ですが、個人の人生においては不要なものです。
はっきり言ってしまうと、邪魔と言うか、悪さすることさえあると言えます。
 

今日が何月何日であろうと、人生にとっては大した意味はありません。
それはただの目安であり目印、区切り、マーキングです。

それなのに、わたしは「8月が長いよぉ、早く秋になってよぉ」と嘆いているわけです。
8月が終われば秋になって涼しくなるわけでもないのに。

* * *

そうだとわかっていても、ついつい月日という刻みに翻弄されている。

これは、一歩離れて客観的に冷静に観察してみると、なんともバカらしいことですよね。

単純に「早く涼しくなれ~!」とだけ思っていればいいんです。そうすれば、8月があと1週間も残っているからと言って、気持ちがブルーになったり、余計なストレスを感じたりしないですみますから(^^;) 

つまり、時間(暦)という観念のせいで、必要ないことまで気にして勝手に落ち込んでいる。不必要なことに心を振り回されていた、ということです。

* * *

そして、人生ナビ的に付け加えるならば――

「暑いよ~」と嘆いたところで涼しくならないのだから、それはそういうモノだと受け止めて(あきらめて)違うことを考えたほうがずっと建設的だし健康的。

そうすることで、同じ現実・現状のなかに、違ったモノが見えてくるかもしれません。
 

気は心。心は持ちよう。

ご先祖様たちはホント、よくわかっていらっしゃる!