時間の考え方を変えると心も変わる
先週のことです。うっかりと時間のワナにハマってしまいました。
8月25日、8月最後の日曜日のことです。
思わず知らず、こんなことをつぶやいていました。
9月になるまで、まだあと1週間もある!
世の中は、まだまだ夏休み!と喜んでいるのだろうけれど
なんだか今年はヤケに長い気がする……
子供のころから夏が苦手。だから、早く9月になってほしくて「8月が長い!」と感じる。
そういう心理が働いていたようです。
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物理的な時間の長さは一定であっても、感覚的な時間の長さは、感情や状況の影響を受けます。
物理的な時間と社会的な暦(つまり何年何月何日何時)は、他者と関わる時には必要ですが、個人の人生においては不要なものです。
はっきり言ってしまうと、邪魔と言うか、悪さすることさえあると言えます。
今日が何月何日であろうと、人生にとっては大した意味はありません。
それはただの目安であり目印、区切り、マーキングです。
それなのに、わたしは「8月が長いよぉ、早く秋になってよぉ」と嘆いているわけです。
8月が終われば秋になって涼しくなるわけでもないのに。
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そうだとわかっていても、ついつい月日という刻みに翻弄されている。
これは、一歩離れて客観的に冷静に観察してみると、なんともバカらしいことですよね。
単純に「早く涼しくなれ~!」とだけ思っていればいいんです。そうすれば、8月があと1週間も残っているからと言って、気持ちがブルーになったり、余計なストレスを感じたりしないですみますから(^^;)
つまり、時間(暦)という観念のせいで、必要ないことまで気にして勝手に落ち込んでいる。不必要なことに心を振り回されていた、ということです。
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そして、人生ナビ的に付け加えるならば――
「暑いよ~」と嘆いたところで涼しくならないのだから、それはそういうモノだと受け止めて(あきらめて)違うことを考えたほうがずっと建設的だし健康的。
そうすることで、同じ現実・現状のなかに、違ったモノが見えてくるかもしれません。
気は心。心は持ちよう。
ご先祖様たちはホント、よくわかっていらっしゃる!