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量子論的「愛について」の覚え書き

Dr.ディマティーニの『正負の法則』を読んでいて、
彼の語る「愛」と仏教でいうところの「空(くう)」の概念が重なって見えてきました。
そんな気づきをメモ的に書いてみます。


『正負の法則』
ドクター・ジョン・F・ディマティーニ 著
本田健 訳
東洋経済新報社刊

 


宇宙はすべてプラスとマイナスのバランスで生まれている

宇宙のエネルギーバランスは完璧なのだといいます。
プラスとマイナスというのは、たとえば、
光という一つの源が二つの性質に分かれて現れ出たもの、
なのだそうです。

量子物理学に詳しいわけではないので、かなり大雑把な捉え方です。
仮にちゃんと説明されたとしても、わたしには理解しきれないので、
あくまでイメージとして語っています。
興味のある方は、波動関数に関する書物などをお読みください。

宇宙エネルギーが物理的なバランスと秩序で成り立っているのなら、
その宇宙の存在であるわたしたちの意識というエネルギーもまた、
同じように、バランスと秩序で成り立っていると考えることが出来ます。

プラスとマイナスに分かれた物質が統合すると光になるそうです。
同じようにわたしたちの意識エネルギーのプラスとマイナス、つまり、
思考や感情のポジティブとネガティブをひとつに溶け合わせると、
それは、愛になります。

物理学の理論は実感としてはなかなか理解できないのですが、
プラスとマイナスの感情が一つに融け合った状態が「愛」だ
ということは、実感しています。

そして、愛は光だ、ということ。光、つまり、エネルギーですね。

 

宇宙ではプラスとマイナスはつねに同時に存在している

対称の法則というのだそうです。
陽電子(プラス)があれば、必ず、宇宙のどこかに
それに対応する電子(マイナス)が存在すると言われます。

これは私たちの心の状態にも、そのまま当てはまる宇宙の法則です。

つまり・・・

「悲しみの伴わない幸せや、幸せの伴わない悲しみは存在しない」

ということ。

この法則は、今から10年ほど前に、わたしが
否応なく人生から教えられたことでもあります。

それまで生きてきた人生の中で、
誰とも較べることが出来ないほど大切に思う人がいました。
ちょうど人生の闇の中を歩いていた時期で、
その人の存在だけが心の支えであり、道標でもありました。

それほど大きな存在だった人が、急な病で世を去りました。
世界から光も温もりも消え失せてしまったような出来事でした。

でも、生きる気力も失いそうな悲しみと喪失感の中にありながらも、
何かが心の奥底で輝いていた。
それは「愛」という言葉でしか表しようのないものでした。

人を好きになる、愛情を感じる。そういう現世的な愛とはちょっと、違う感覚です。

その人を誰よりも大切に思い、強い愛情を感じていました。
だからその人がこの世からいなくなってしまった時に、
絶望的な悲しみに打ちのめされました。
でも、その苦しみの中で気づいたことがあったんです。

それは、生きるのがいやになるほどに悲しく苦しいのは、
その人を好きだったから、かけがえのない大切な人だと
心の底から思えていたから、なのだということ。

そして、それほどに思える人に出会い、
同じ時を過ごせたことの幸せをつくづくと思った。

その人と共に歩けた時間がそれほど幸せだったから、
その人の死をこれほど悲しんでいるんだ。

そのことに深く思い至った時、はじめて、
「愛」という言葉以外では現わしようのないものがあることを知りました。

大きな喜び、幸せ、それがあったからこそ生じた、死にたくなるほどの悲しみ、苦しみ。
それは、表裏一体の存在で、どちらかがなければ、もう片方も存在しなかった。

喜びや幸せだけではなく、悲しみと苦しみも、すべてを受け入れることで、
心の底からその人のことを愛すること、
その人の存在、その人との出会いに感謝することが出来たのです。

 

愛とは、すべての両極性の完璧な融合と調和

Dr.ディマティーニは『正負の法則』のなかで、こう語っています。

人によって愛の定義はさまざまですが、私は愛とは、「すべての二元的な知覚の完璧な融合であり、すべての両極性の調和」であると定義します。喜びと悲しみが統合されるとき、両者は愛になります。好きと嫌い、正と負、苦しさと楽しさ、電子と陽電子―――すべての二面性が完全に統合されたのが愛です。

それは、執着やエゴからの条件付きの愛ではなく、無条件な愛です。

この愛に気づいた時、多くの人が涙を流すと言います。
それは、喜びや悲しみの涙ではなく、愛とインスピレーションの涙。
とても深いところから溢れ出てくるものです。

この愛の定義は、仏教で言う「空(くう)」に通じると感じます。
「在る」と「無い」を統合し、超越した概念としての「空」です。

「在る」ことばかりに意識を向けていると「無い」ことに苦しみを感じます。
逆も同じですね。

「在る」ことと「無い」ことは、一つのモノゴトの異なる側面でしかありません。
どちらか側だけを見ているということです。
つまり、偏ったモノの捉え方をしているにすぎないということ。

喜びと悲しみ、といった、感情のプラス面とマイナス面も同じことです。
ものごとや出来事そのものには何の性質もないのです。

ただ、あなたが、善悪や好き嫌いという色付けをしている、
ジャッジしているだけに過ぎません。

ものごとそのものは常に中庸。良いも悪いもないのです。
あなたがそれをどう見ているか、どの面を選んで見ているか、それだけです。

 

わたしたちはいつでも「愛」を選ぶことができる

プラスにはマイナスを、ネガティブにはポジティブを掛け合わせれば、
すべてはイーブン、プラスもマイナスもない状態、になります。

それが光であり、愛である状態です。

わたしたち人間は「行動を意識的に選択する」という能力を与えらえていますよね。
だからわたしたちはいつでも、プラスにもマイナスにも偏らない、
愛である状態を「選択する」ことができます。
それを選択した時、あなたの生きる世界は、一瞬でその姿を変えることでしょう。

それが「悟り」なのかもしれませんね。