人は誰もが半分夢の中で生きている

脳のトリセツ

誤解している人もあるようなのですが、瞑想は、ボーっと夢見心地になるものではなく、そういう状態を目指すものでもありません。
逆に言うと、通常の状態、日常生活にある時のほうが、実は、半催眠状態にあるんです。

瞑想中の意識状態とは

トランスという、通常の意識とは違う脳のモードに入るので、それを夢見心地と捉える人もいるかもしれませんが、少なくとも、瞑想を終えて目を開けた時には、脳はスッキリしているし、目もしっかりと開いて視界も鮮やかなものです。
つまり、覚醒している状態、になります。

トランス状態にある時には、確かに、不思議な浮遊感というか、空間に対するリアリティの希薄さなどが感じられるものですが、それは、高度に目覚めた状態です。
いわゆる夢見心地やふんわり・ぼんやりしているのとはまったく別物だということを、ここで理解しておいて下さい。

日常生活では半催眠状態

通常の状態、日常生活にある時のわたしたちのほうが、実は、半催眠状態にあります。

例えば道を歩いている時、あなたは身体の動きを考えますか?
脚をどう動かしているか、腕はどうか、体幹はどうする―――そんなことを考えて身体に指令を出して歩きますか?
そんなことはないですよね。
だから、人に見られている状況であらためて「自然に歩いてください」と言われても、出来の悪いロボット人形のような歩き方になってしまうわけです。

馴れた動作・行為というのは、いちいち考えてやっていません。
自動的な反応でやっています。自動運転なんですね。意識的にしていない。
ついついやってしまうことや、無意識の反応などと同じ。
だから、催眠状態だよ、というわけです。

何も考えなくてもその動作が出来る。だから「今、自分がそれをやっている」ことすら意識していないんです。
無意識、無自覚で行動している―――まるで、いわゆる夢遊病みたいじゃありませんか?

あなたも自動運転で生きている?

でも、これが私たちの意識の通常モードなんです。
半分眠っているようなもの。自分が生きていることすら意識されていない状態。
普段わたしたちは、そんな意識モードで日々を生きています。

忙しさに振り回されて慌ただしく日常生活を送っていると、ふとした瞬間、生きているのが虚しくなることって、誰にでも経験あるんじゃないかなと思います。
この憂うつ気分の正体、なんとなく察しがつきませんか?

そう、脳の自動運転にすべて任せて、無意識・無自覚で日々を生きているから。
だから「わたしはいま生きている」という実感・自覚がないんです。
半分眠っているようなもの。操り人形のようにプログラム通りにフラフラ動いているだけなんですから。

文字通り「リアルを生きていない」のだから、虚しくなるのが当たり前なんです。
いいえ、かえって、虚しいと思えるぐらいのほうが自然で健康な状態だ、と言えるかもしれませんね。

覚醒とは目を開けて生きること

瞑想は、わたしたちの意識を覚醒させます。

覚醒とは、意識が目覚めていること。

自動的反応ではなく、目の前にあるもの、起きていることを、しっかりと認知し、意識し、それに対して意図的に反応が出来るということです。

この感覚を一度覚えると、目に見える世界が一変します。感じることが変わります。
すべてが鮮明になる、と言えばいいでしょうか。

これまでの自分がいかに、見ているつもりでも「見ていなかった」か、感じているつもりでも「感じていなかった」かに気づきます。
本当の意味で、地に足をつけて「いま」という瞬間を生きていくことができるようになります。
だから、自分自身が自分の人生の主体・主人公なのだということを感じることができます。

ボーっと生きてないですか

必要なのは、1日にほんの10~20分間、瞑想をする。ただそれだけです。
毎日の習慣に瞑想を取り入れるだけで、毎日が生き生きと色鮮やかになるのです。

たったそれだけのことすらしないで、昨日も今日も明日も変わらずに、何かにコントロールされ、自動操縦され、半分眠ったように生き続けていると、有名なあの子にガツンと叱られちゃうかも・・・
「ボーっと生きてんじゃねえよ!」