人生の夏休み
暑中お見舞い申し上げます
今年もやはり猛暑です。
毎年毎年、暑さの記録を塗り替えている。
このところずっとそんなですね。
地球はどうなっていくのでしょう?
夏休みなんてない?
世間的には夏休みシーズン。ですが、もちろんお仕事によりますね。
例えば――
家事やご家族のお世話に”休み”はない。
お母さん業は年中無休24時間フルタイム。
家や家族に関する仕事は、そこに金銭的な収入が生まれないので、今の経済システムの中では「仕事」と認められていない。そんな感覚がいまだにあるように感じます。
これは、どこか不自然な価値観です。
家事仕事は、生きることと深く結びついている行為です。
住まいを安全に清潔に保ち、健康と活動の土台になる食事を調える。
どれも生きることの土台になる部分。金銭的豊かさは、その外側にあるものです。
まずは命の安全と安心。そこがあってこそ、それ以外がある。
仕事ってなんだろう
仕事イコールお金を稼ぐ活動。
そう考えるのがおそらく普通でしょう。
そしてその「仕事」はなぜか生きる活動と切り離されている。
わたしの目にはそう見えます。
だからライフワークバランスと言う言葉が生まれたわけです。
ライフもワークも同じ土俵にあると考えれば、それを分けることはできないはずですよね?
なぜ、労働がこんなにも「生きること」そのものと切り離されてしまったのでしょう。
休みってなんだろう
世の中に、なぜ「休み」があるのか?
その理由がここにあるとわたしは思います。
「生きる」ことと「仕事」が分離しているからです。
「生きる」を休むことは誰にもできません。
それは「生きない」になってしまうから。
わたしにとっていわゆる「仕事」は生きること、人生の一部分です。
なので、休むという感覚を持っていません。
食事や眠ることを「休まない」のと同じ。生きることの一部分。
だから一年365日がつがつときつい作業をやり続けているのか?
そんなことはもちろんないです(わたしは人一倍の怠け者ですし)
「休む」のではなく、その日は直接的な作業をしないと決める。そんな感覚です。
家事も手を抜く日があります。お惣菜を買ってきて簡単に済ますとか。
掃除をしない日もあるし洗濯物をためてしまうこともある。
生きるためにどうしたい?
それが「生きること」のブレーキにならないなら、問題ありません。
気ままにやっています。
ただし、常に全体を見て、未来を意識して求めるイメージから外れないように。
それだけは気をつけています。
目の前のことにばかり意識を向けていると、どうしても先のことや全体像が見えなくなりがちです。
家事も仕事(社会活動)も人付き合いもすべて人生の一部分。
どれもこれも、まるっと満足して幸せに今生を終えるという一番大きなゴールに向かうための要素です。
家事を完璧にするために生きてるわけじゃないし、社会活動のためだけに生きているわけでもない。
それは手段であって、目的ではない。
そのことがわかっているので、それらに振り回されないでいられます。
人生に「休み」はない
人生に「休み」はありません。たとえば「夏休み」というイベントがあるだけです。
一生という大きな流れの中で、今日は何をするか、何をしないか、を考える。
「何をしないか」を考えることを「何をするか」よりも大切にすると、人生全体がスッキリします。行動のおかたづけですね。
こんな感覚で毎日を生きていれば、仕事も遊びもすべてが人生。
だから生きることに「休み」はないのです。