「決められない」ストレス状態から抜け出す方法

人生ナビな日々,人生ナビのトリセツ

遠出する大事な用事があった日、ああ、どうしよう!?とオタオタすることが起きました。

出掛ける直前になって、乗る予定にしているJRが遅延していることを知りました。
もうひとつ使えるルートがあるけれど、普段あまり使わない路線で不慣れです。
しかもその線の駅までは15分近く歩かなくてはならない。

大事な用事というのは、前々からとても楽しみにしていたコンサート。だから絶対に遅れたくない。それなのに、たまたま所用があって、早めに家を出ることもできない状況で時間の余裕がありません。

ああ、どうしようかなあ、とかなり迷いました。

JRでハラハラしながら行く?それとも別ルート?
そちらはいまのところ通常運転しているけれど、乗るべき列車に間に合うのか?

なにをつまらないことで悩んでいるのかと笑われそうですが、その時のわたしにとっては大問題だったんですよ。

「決められない」のワナ

いわゆる、二者択一という状態ですね。

つまり、二つの選択肢があって、どちらかに決めかねている。
どちらにもメリットがあり、どちらにも不安材料がある。
だから決め手に欠けて、選べずに足踏みしてしまう。

この状態って、ホントよろしくないです。

エネルギーが、ここで止まって滞ってしまう。
どっちでもいいから、とにかく選ぶしかないわけです。
選ばないことには、本来の目的(ほしいモノ)が手に入らないのだから。

そうと分かっていても決められないから、ウジウジしてるわけで……。
 

この二者択一、つまり分かれ道の悩み。

実は、結論から言ってしまうと、どっちだっていいんです。
どっちを選んでも、ある意味、結果的には同じです。

身もふたもない話ですが、これが、真実。
 

「選ぶことが大事なんだ」と、いろんな書籍やサイトに書かれていますよね。

で、そういう記事を見るたびに、こんな風に思いませんか?

はい、その通り!

どっちだって同じだよ、と説くならば、なぜそうなのかを説明するべきだし、それでも選べないという人にも救いの手を差し伸べてほしい。

わたしもそう思います。

なので、わたしなりの考えを書いてみます。

なぜ「決められない」が起きるのか

まずはこれですね。
「どっちを選んでも正解」という言葉の意味。

わたしの場合これは、そもそも、人生には「正解」なんてない、ということを意味しています。

人生という言い方は大げさですが、自分に関わるモノゴトはすべて「人生」ですから、そういう大枠で考えてください。

この「人生」は、算数の計算ではないので、あらかじめ決まった答えなどあるはずがない。というか、答えという考え方そのものが、「生きる」という行為に対してそぐわないんです。

もし人生に「答え」があるとしたら、それが分かるのは人生を終えるときでしょう。

だから、生きてこの世に在る間は、たとえ答えがあったとしても、それはわたしたちにはわからないということ。

わからないものを考えても、わからないですよね(笑)

だからまず、わからない答えを求めることを止めることから始めます。
 

どうやったら「決められる」のか

それなら、どうやって選べばいいのか?

大事なのはここですよね。

さきほどの「人生」の話に戻すと……
わたしたちの「人生」の行く先はすでに決まっています

人生の終着点は、たった一つしかありません。
つまり、いつかこの世を去るということです。

望むと望まざるとにかかわらずです。
これだけは変えようがありません。

これが人生における、たったひとつの「真実」です。
 

どの道を選んでも、どんな人でも必ず、このゴールにたどり着きます。だから、どれを選んでも正解、ということなんですが……実は一つだけ、意図して選べる要素があります。

それは、すでに決まっているゴールまでの道のりを「どう歩んでいくか」ということ。

その道中で何を見たいのか。
どんな町を訪れたいのか。
どんな人たちに出会いたいのか。

旅行になぞらえるならば、飛行機にするのか、列車にするのか、車で行くのか、歩くのか、あるいは、宇宙ロケットか。ファーストクラスか、エコノミーか。高級ホテルか、民泊か……etc。

人生という旅のなかで、自分は何を体験し、何を感じたいのか?

まずはそれを選ぶんです。

旅の目的です。

手段はそれに応じて決まってきます。
 

「決める」ことの本当の意味とは

目的を持たずに形で選ぼうとするから迷うんですよね。

料金だとか、ステイタスだとか、今流行っているからだとか。
外側の条件に振り回されていると、旅の本来の目的を忘れてしまいます。

それでは本末転倒です。
どんな体験をしたとしても、きっとどこかに不満が残ります。

目先の状況ばかりを見るのではなく、その向こう側にあるものを、その道の先に待つものをイメージしてみれば、進むべき道はおのずとわかります。
 

目的さえ忘れずにいれば、どの道を選んでもOK。
きっと「目的地」にたどりつけます。
多少遠回りすることはあるかもしれないけれど(笑)

二つの道がある時、「どっちを選んでも正解」というのはつまり、こういうことです。

選んだ道の正解・不正解じゃないどうやってその道を選んだのか

それが文字通りの人生の「分かれ道」になります。

* * *

ちなみに、この後どうなったかを書きますと――

この日の一番の目的は、コンサートを見ること。つまり、会場にたどり着くことです。
JR線は途中で止まってしまう危険性が考えられました。なので、たとえ到着時間がギリギリアウトになるかもしれないとしても、目的実現の確実性の高さで、別ルートを選びました。

結果的にコンサート開始10分前にホールに到着。
今回は、めでたし、めでたしです。