「愛」について大真面目に考えてみた
ロサンゼルスが大変なことになっていますね……
2023年8月にハワイで起きたマウイ島での山火事を思い出します。
人的被害が小さいことを祈ります。
縁もゆかりもない人であっても幸せを願う気持ち
ところでわたしはハワイにも、ロサンゼルスにも特にご縁はありません。
知り合いもいません。それでも心が痛みます。
少しでも早く終息するように、そこで暮らす人たちが安全であるようにと願わずにはいられません。
それは自然な反応だと今のわたしは当然のように思います。
*
でも、もし自分がいま、とても辛い状態にあったとしたら?
他所の国の縁もゆかりもない人のことで心を砕く余裕は持てないかもしれません。
自分が不幸だと思っている時に人の幸福を願う気持ちは持てません。
愛についても同じです。
自分が愛情に飢えていたなら人を愛することなどできません。
だからまずは自分なんですよね。
「愛」がわからずに生きてきたから分かること
ところで――
「愛」って何でしょうか?
いきなり大きすぎる問いですが(笑)
実はわたしはこれがわからなかったんです。
愛されて育っていないからわからないんだと、ずっとそう思っていました。
だからとにかく愛が欲しい!
誰かわたしに愛を教えて!
あがき続けて生きていました。
幸いなことに、今はわかります。
愛がわかったから、愛を求めなくなりました。
求める必要がないし、そもそも求めるものじゃないということが、やっとわかるようになりました。
愛の基準をどこに置くか
ここでわたしが言っている「愛」は家族やパートナーに限ったものではなく、もう少し広い意味での愛の定義です。
わたしにとっての愛とは「相手の幸せを願うこと」です。
これに尽きます。
これ以外ありません。
だから具体的な行動は時と場合と相手によってすべて異なります。
当然ですよね?
転んでしまった人には手を差し伸べるでしょう。
泣いている人は抱きしめます。
道に外れそうで危ないと思えば、少し厳しいことを言うかもしれません。
そこにある心の基準は相手です。
わたしではありません。
自分から始める理由
ここで考えたいのは、相手の幸せを願う心であるためには、まず自分が幸せに生きていることが必要なんだということです。
これは絶対に不可欠。
これなくして人の幸せは願えない。
そもそも何が相手の幸せにつながるのかがわかりません。
だからまずは自分なんです。
これはそのまま自分を愛することにもつながります。
相手を幸せにすることが愛ならば、まずは自分を愛して幸せにする。
そこがスタートです。
いつだってスタートは自分から
わたしがわたしを愛して幸せにする。
そしてわたしが関わる人たちの幸せを願う(=愛する)。
この連鎖が広がっていく世界を想像してみてください!
世界は愛と幸福で満たされますよね?
だから、まずは自分の面倒を見る。
自分を幸せにする。
自分を愛する。
そのためにするべきことはこの3つです。
- 自分自身をよく知ること
- 心の声に耳を傾けて本当に求めているものに気づくこと
- 素直な自分を生きること
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これが人生ナビゲーターとして、わたしがお伝えしたいことの核心です。
「わたしの幸せ」をみんなで生きていきましょう。
2025年の抱負に代えて
ー2025年1月12日配信メールマガジンよりー