人生の時間を計算してみたら・・・
あなたは生まれてから今まで、どのぐらいの長さの時間を、生きてきたでしょうか。
たとえば今あなたが48歳なら、単純に48年。
普通はまず、そう考えますね。
では、今日は生まれてから何日目ですか?
違う尺度で捉えてみると・・・
生まれてからの今日までの日数!?
赤ちゃんじゃあるまいし、そんなこと考えたこともない。
あなたのそんな声が聞こえて来るようです。
1年は約365日だから、たとえば今48歳なら、365×48年=17,520日。
ざっと、計算するとそうなりますね。
今日が生まれてから何日目なのか、正確に知ることも出来ます。
こんなお役立ちサイトがあるんですよ(^^)
ちなみにわたしは20,000日を超えていますが、例えば2万日と聞いて、あなたはその日数を多いと思いますか? それとも、案外少ないなと感じましたか?
わたしはこの計算をしてみて、え、それだけなの?と思わず声に出して、呟いてしまいました。
生まれてから今日までに流れて行った時間を思うと、それこそ記憶にもないほどに膨大、長大な時の積み重ねを感じます。
なのに、その記憶を日数で計算したら、たった2万日!
もっと宇宙規模の、捉え難いような数字を漠然とイメージしていたんです。それが「2万日」って・・・全然身近で日常的な数字じゃないですか。
時間が無限だという勝手なイメージ
わたしたちは【時間】という掴みどころのないものに対して、過大なイメージを抱いてしまっているのかもしれない。そう気づかされました。
たとえば1か月だって、たったの30日。一年で365日。
これをモノに置き換えるなら、たとえば365枚の100円玉なら、あっという間に簡単に数えることができる。
つまり、その程度の規模の数字なんです。
一年ってあっという間だな、と思うのは、理に適っていたんです。
だって、たったの365日、なんですから。
1年というひとくくりの単位で捉えるから、長く感じてしまうだけ。一日という実感しやすい単位に換算してみれば、それほど長い時間ではないことが納得できます。
3年でようやく1,000日。小学校卒業の満12歳ではまだ4,380日。
27歳5か月でようやく生後10,000日です。
このぐらいの年齢になると、まあなんとなく人生というものが分かって来る。それが生まれてから1万日の経験の結果だと考えてみると、どこか頷けるものがあります。
でも、これをその時の自分の身から過去を振り返ってみると、長い長い27年5ヶ月なんですよね。
これって、時間のマジック。数え上げてみたらそれ程でもないものが、計量できないもの(それほど膨大なもの)であるかのように感じてしまう、ということです。
「一日一日を大切に」の本当の意味
なにもせずにダラダラしていても、一日と言う時間はあっという間に経ってしまいます。
でもその一日は、貴重な一日。心の有り方とか、生きる姿勢と言う精神論ではなくて、物理時間的に文字通り「貴重な」一日です。
1週間の7分の一、一か月の30分の1、一年で考えても365分の1です。それを無為に、ムダにしたということです。
27年5カ月の1万分の1を捨てたということです。
倍にして55年生きても、たったの2万日なんですよ。その2万日の内の、どれほどの日数を無駄にしてきたことでしょう・・・
これは、だから一日たりとも休むな、と言うことではありません。
休もうと思って休むのは無駄な行為じゃありませんよね。「今日は何もしない!」と決めるのも、人生の選択、つまり行為です。
無為とは、何の意図も持たず、意志も持たず、望むイメージも持たず、ただ漫然と人生の時間を浪費・消費することです。
人生は、無為に生きるには短すぎます。
100歳まで元気に生きていくとしても、たったの36,500日なんです。わたしたちの脳内のイメージで数えられる程度の数量なんです。
そして誰でもいつかはこの世を去る日が来ます。今現在のところでは、わたしたちに無限の人生は与えられていません。必ず終わりの日があります。
そしてそれは、決してそんなに遙か遠い未来のことではないのです。
未来を思って今日を生きる
たとえばこれから先もう20年生きるとしても、7,300日です。
一日に出来ることの分量を考えてみたら、7300日は決して長い時間ではないと、わたしはそう感じてしまうのです。
あなたは、今日、人生の何分の1かの貴重な1日を、どう生きますか?